腰砕け禁止
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HOME > 腰砕け禁止orz (モチベーション系Q&A集)

腰砕け禁止orz

外国語習得は決して難しいことではありませんが、時間がかかります。その間に何度も挫けそうになるかもしれません。自分の脳裏に浮かんだ弱気虫を基準に、Q&A方式にまとめてみました。やめようかと思ったとき、思いそうなときにでも、ちょっと見てみてください。

  1. 結局のところ語学は手段ではないか?
  2. 通じればいいのではないか?
  3. 英語ができればなんとかなるのではないか?
  4. いっぱい聴いていっぱいしゃべらなければダメなのではないか?
  5. 子供のうちにやっておかなければ無理なのではないか?
  6. 自分には才能がないのではないか?
  7. もうこれ以上は伸びないのではないか?

1.結局のところ語学は手段ではないか?

結局のところ語学は手段です。「ああしたい。こうしたい。だから、○○語が必要なんだ」と、目的がしっかりしていることが一番です。一方、とても残念なことに、ことさらに「手段」を強調する人の中に、目的に見合った手段をモノにしている(しようとしている)とは到底思えないようなケースが見られることがあります。目的はしっかりしていても、「○○語が必要だ。だから、、、」という具体策への落とし込みの段階でとたんに甘くなってしまうパターンです。やると決めた先は、語学習得が目的です。

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2.通じればいいのではないか?

通じればいいのです。ただし、それは奥深い外国語の世界への第一関門を通過したにすぎません。ことさらに「通じるんだからいいじゃないか」と強弁し、支離滅裂な文法(?)を振り回す姿は、、、とりあえず美しくありません。そもそも、それは相手が外国人との接触に慣れているためにハンデを出してくれているだけかもしれません。個人的に相手の好意に甘えるのは自由ですが、そのことをもって、「諦め=要領のよさ」と言い換えるのは、、、ますますもって美しくないです。

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3.英語ができればなんとかなるのではないか?

世の中、たいていのことは英語で押せばなんとかなります。ここで主にとりあげているロマンス諸語が話される地域でもそうです。ただし、その実体は、、、。フランス人の中には、判っていながら「意地でも英語なんて話すかい」という偏屈な人がいます。逆にイタリア人には、なんとなく(日本人に一脈通じそうな)英語好きというか英語コンプレックスが見受けられるようですが。いずれにせよ、あくまでも基本線は、学校でやったから、あるいは特に勉強したから、ということにかわりはありません。そのようにバイアスがかかった状態では、ジャガイモ1kgの売り買いはできるでしょうが、芸術の批評ができるでしょうか。恋ができるでしょうか。政治家の本音を聞きだすことができるでしょうか。ヨタ話を一緒になって笑うことができるでしょうか。

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4.いっぱい聴いていっぱいしゃべらなければダメなのではないか?

いっぱい聴いて、いっぱいしゃべることは、外国語の習得に大変有益です。ただし、そればかりでも、なかなか上達しないものです。また、それを理由に文法学習や語彙習得を疎かにするのはどうでしょうか。基本的に、練習(体験)したことと、その転用以外に話せることはないのです。自分の職業や趣味について活き活きと話しはじめながら、せっかく相手が話に乗ってきてくれたところで「うーん、でぃふぃかると」ではシャレになりません。「聴く、話す、読む、書く」という順番が絶対的に有効なのは、脳の言語領域がユルユルの子供のうちだけのこと。大人ならば、音声・文字平行して「知る、理解する、試す、直す」を繰り返すべきではないでしょうか。

また、「現地に住めばなんとかなる」「実地で覚えるのが一番だ」というのは、どこまで本当なのでしょうか。言葉はイキモノですし、常時ナマの情報に接することができ、使わなければ立ち行かない状況に自分を追い込むことで、外国語の力を大きく伸ばす人もたくさんいますが、折角の長期滞在機会を得ながら、「通じるからいいんだ」「みんな、文法なんて結構いい加減だよ」と、勝手なブロークン・ランゲージから進もうとしないケースも結構あるようです。現地人のいい加減と、外国人のいい加減は違います。相手がいい加減だからこっちも、というのは、例えば、日本人が「食べれない(ら抜き)」と言うのだから、「食べらない(れ抜き)」でもいいではないか、とアメリカ人に開き直られるようなものではないでしょうか。あるいは、「私、日本語ぬん韓国語風なんです、食べらにむにだ。」とか(ある意味カワイイですけどね)。

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5.子供のうちにやっておかなければ無理なのではないか?

あたかもネイティブスピーカーのように流暢に外国語を口にするためには、子供のうちに習得の機会を得るべきであるようです。前項に引き続きですが、子供の言語脳はたいへん柔軟で、見聞きするものごとを見事に吸収整理して、言語運用能力を獲得してゆきます。ひるがえって、大人(おおよそ15歳前後を境とする考えが主流のようです)になると、1度や2度や3度や4度見聞きしても、3日も経てばきれいさっぱり忘れてしまうものです。一方で、文法を理屈で理解することは、子供よりも大人の得意分野です。外国語の音声を聞き流して浸み込むのを待つのも一手ですが、それに多くを期待せず、文法を整理して覚えていく作業を少なくとも平行して行なっていくのが大人の語学ではないでしょうか。

ところで、「ネイティブのように」ということは、どれだけ重要でしょうか。「ネイティブ」といっても色々です。アメリカ英語で言えば、大統領もその辺の強盗もにネイティブ・スピーカーです。発音は上手だが中身のない話をする人と、たどたどしい発音ながら納得感のある話をする人、どちらかと付き合えという「究極の選択」を迫られたら、どうでしょうか。直接の面識もないままの憶測で申し訳ないですが、例えばの話、いわゆるバイリンガル環境で育った女性が、日本社会のしきたりの理解不足からお笑いタレントに殴られるといった事件。殴った人間をどれだけ罰しようとも、彼女の心の傷が癒えるものでなし、自分の娘ならそういう状況にはまらないよう、注意しておくことがあるなぁ、、、などと思うのですが。

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6.自分には才能がないのではないか?

外国語の習得には、ある種の能力が必要なようです。ただし、それは決して天賦の才能といったものではなく、トレーニングや心がけで身につくものです。とりあえず3点挙げます: ある程度の音感・リズム感、パズルを解くように理屈を類推する癖、そして、繰り返しを厭わない粘り強さです。

  • 音感・リズム感: よく「聴き取って、真似をする力」と言われるものを具体的に考えると、音感・リズム感に集約されると思います。別に、ミュージシャンを目指せとか、バンドをやれとか、カラオケ道場に通えということではありませんが、ある程度の速さで、やや変則的なビートを含む音楽に慣れておくことが有効なようです。日本語式の子音母音セットの音節構造をいったん離れて、あるがままを聴き取る力は、例えば、8ビートや16ビートの裏拍を感じる(その存在を意識する)力に通じるところがあるように思います。
  • 理屈を類推する癖: 言語文法とはつまるところルールです。ルールを理解して運用するという作業は、パズルや暗号を解くことと近い構造を持っています。簡単な例を挙げますと、「おたじたいたさたんたはたやたまたにたしたばたかたりたにた。たぬき」=「おじいさんはやまにしばかりに。」ということは、「あせんしせんたせんもせんあせんそせんぼせんうせんねせん。せんぬき」=「あしたもあそぼうね。」ということも言えるだろう、といった頭の体操と、I'am Sam. という例文を見知っているから、「I'am Chono. オマエラオレダケミテリャ。。。」と言われて理解できること。似てますよね。
  • 粘り強さ: 外国語の習得は一朝一夕になるものではありません。考えようによっては一生かかっても終わらない世界です。昨日より今日、今日より明日と積み上げていく、あるいは藪を切り開いていくような作業です。行く先の長さに怯えることなく、積み上げた力を信じて次の一歩を踏み出しましょう。

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7.もうこれ以上は伸びないのではないか?

ある意味、贅沢な悩みです。「今まで結構伸びたけど、、、」という前提での話ですから。たしかに、0から1、1から2といった覚え始めの頃に比べ、100から101(1%増)、10,000から10,001(0.01%増)、1,000,000から1,000,001(1ppm増)と、やればやるほど伸び率的には小さくなるものかもしれません。それでも、やればやっただけ力になっていることにかわりはありません。語彙ひとつ、文例ひとつでも、昨日より多くを知ることができるのです。忘れてしまうのは仕方ないので、あらためて覚えるまでです。それでも、テストの点数が伸びないということはあるかもしれませんが、身につけたものと違うところを問われただけのこと。次回への備えに役立てていけばいいだけです。アントニオ猪木の言を借りれば、「人は歩みを止めたとき、そして、挑戦することを諦めたときに、年老いていくのだと思います。」

あるいは、どうしても弱気になることもあるかもしれませんが、自分だけがダメなのではないか、というのは、合理的な考えではありません。人間、多少のやる気の波はあるものです。山本五十六元帥の用兵訓にもこのようなものがあります: 「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」。90年代に日本市場を席巻し生保営業の構造変革を促した米国系の会社の管理者マニュアルにも同じような記述があるそうです。自信にあふれ、顧客に安心感を振りまいている営業マンも、事務所に帰れば上司に手本を見せてもらって、説明を聞いて、やってみて、褒めてもらって、を繰り返しながら育っているのてす。外国語学習者の側に置き換えてみると、「運用例を聴いて(読んで)、解説を聞いて(読んで)、言って(書いて)みるが、褒めてもらえるでもなし。もうやめたい。」というところでしょうか。「言って(書いて)みる」までは普通にできることです。NHKテレビの外国語会話講座なども、笑ってしまうほど見事にこうした構造になっています。では、「褒めてもらう」ことは。褒めてくれる先生が身近にいれば問題のないところ。いなくても自分で自分を褒めてあげましょう(有森裕子風)。「あれができたらケーキを食べに行く」でも、「これができたからキューバ産のシガー吸っちゃう」でも、十分に効果があると思います。

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